高輪台小学校
今回は、私の友人である写真家・新良太氏が参加しているイベントのお知らせです。
関東大震災以後の復興期に建設された港区内の「学校建築」に焦点を絞って調査を行ってきたプロジェクト。
今回は、その中から港区立高輪台小学校で実施されたワークショップの模様や子供たちが撮影した校舎写真などを展示するイベントです。
「高輪台小学校」は、1935年・高輪台尋常小学校として開校した珍しい洋風建築の白い校舎が特徴。インターナショナルスクールの先駆けの小学校とのこと。当時のモダニズムが感じられる大開口、直線的なデザイン!
1935年というと昭和35年、少しググリますと、日本では、富士通信機製造(後の富士通)ができ、築地市場が開場した年。海外では、アドルフ・ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、国際連盟から脱退して戦争へと向かい始める頃です。
日本の学校建築としての位置付けを見てみると、
1923年の関東大震災により東京市立小学校は大きな被害を受け約2/3が倒壊・焼失し、
復興事業として、東京では不燃化・鉄筋コンクリートの「復興小学校」が建設されています。復興小学校として建築された小学校は全部で117校らしいですよ。建設時期は1924年から1935年にかけての時期(多くは1928年頃までに完成)。外観はそれぞれに凝ったものが多く、現在でも現役で使用されてるものも多いようです。
阪本小学校(中央区)、常盤小学校(中央区)、泰明小学校(中央区)、城東小学校(中央区)、
広尾小学校(渋谷区)、早稲田小学校(新宿区)、四谷第五小学校(新宿区)など。
高輪台小学校も同時期に開校、建設されてるので同じ系譜といえるのでしょうね。
一度この復興小学校を見て廻るもの楽しいでしょう。
近年、学校建築では、木造校舎の価値が見直され、防火性能などを満たした新しい木造校舎が建てられたりしていますが、RC造でも復興小学校のようにしっかりデザイン計画された校舎は、きっと子供達の記憶にも残っているんでしょうね。
私自身の小学校時代を思い返すと、木造校舎で学びましたが在学中に半分がRC造に作り変えられました。丁度移行期だったんでしょうね。6年生になって新しいRC造の校舎を使い始めた時は、「新しくて綺麗でいいなぁ!」と感じた記憶があるのですが、いい歳の大人になって強く印象に残っているのは、木造校舎の思い出の方が圧倒的に多いんですね。
木製の床材、そのワックスの油の匂い、木製窓、あと暑さと寒さ!(笑)
善し悪しありますが、良い思い出には違いないと思っています。