玄関 Entrance 式台 必要?

「玄関」ってなんだろうねぇ!

家を設計していて、まぁ必ずと言っていいほど設けるモノではあるのですが、
これまでも設計をしてる中でいつも考えます。
必要なのだろうか? この空間は!

特に、都市部の狭小敷地の場合には、必要な空間が他にもっとあり、
この「玄関」なるモノに大切なエリアを割く意味がどれほどあるのだろうかと。
住み手は、入居後にあってよかったと感じるのか?
(まぁ普通は、そんなことはいちいち考えないよね・・・笑)

本やネットなどには、下のような由来解説が色々と示されているわけですが、

げんかん【玄関】

中国においては《老子》に〈玄之又玄衆妙之門〉とあるように幽玄の道の入口という意であったが,転じて禅学に入門するという意味に使われた。日本においても字義どおり使われたこともあるが,転じて禅宗寺院の方丈の入口を指すようになり,ついで,武家住宅の式台(戸口の前につけた低い板敷きの縁)付きの入口,さらには一般住宅の主要な入口を指すようになり,今日では一般住宅の入口の意味が定着している。 日本の禅宗寺院では,鎌倉時代末期に書かれた建長寺の伽藍指図中に,伽藍の中軸線にそって方丈西隣の得月楼にいたる廊の中扉に玄関の書込みがあり,方丈への入口を意味していたことがわかる。
(世界大百科事典 第2版の解説より)

建長寺伽藍指図 江戸時代 享保17年(1732) 縦175.0cm×横83.5cm 建長寺蔵
建長寺伽藍指図
江戸時代 享保17年(1732)
縦175.0cm×横83.5cm
建長寺蔵

映画に出てくる海外の一般的な庶民派?住宅では、外開きの網戸を開け、内開きの扉を潜ると
リビングの一部だったり、廊下だったり、絨毯敷きなどの何ともない空間に入るわけで、
やはり靴を脱がないという前提でいるのですよね。

コート類は傍らにあるコート掛けにかけ、靴はと言えばシュークロゼットなる小部屋にまとまっているという塩梅。
階段が傍にあって見上げれば、
2階の踊り場にマコーレー・カルキンがいてオモチャ銃で撃ってくる・・・
まさにあの映画に出てくるのが、現代のザ・アメリカン・ハウスなのでしょう。

Early American home
Early American home

entrance
つまりは、靴がみだりに脱ぎ散らかされていなければ、玄関はなくてもよいのかもしれない。

また来客を迎え入れる場としての機能というか、空間の連なりとしての「一節」としての意味合いは、日本の武家屋敷などには、あるわけですが・・・・
これも現代の家でどれだけ来客を迎えているかと考えると、さして必要ないような気もするわけです。